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   <title>新宿de無敵ラーメン！！</title>
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   <subtitle>オフィスのビルが立ち並ぶ新宿。ラーメン激戦区のひとつでありますが、勝手にうまいと思ったラーメンを紹介します！</subtitle>
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   <title>医師と患者の関係　3</title>
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   <published>2012-01-06T03:42:53Z</published>
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      現代医学にたいする非難の多くは医療の体制そのものに帰せられなければなりません。


きびしい監督のもとで仕事をする医師たちは、患者ひとりひとりに合わせたきめこまかい処方ができなくなっています。


州によっては、医師免許を失う覚悟がなければ患者に代替療法をすすめることさえできません。


げんにモンタナ州議会は、医師が鍼治療やホメオパシーなどの代替療法を使ってはならないという法律を通過させたのです。


・・・最近、わたしはオハイオ州北部に住む医師から一通の手紙を受けとりました。


その医師によれば、わが家の裏庭といってもいいほどのところにあるコロンバス市議会が、すべての代替療法を追放するための議案を練っているということです。


そうした法律の制定に熱心な陣営のひとつは製薬会社です。


患者に合成薬剤の副作用を教えるような治療家の存在が目ざわりだからです。


医療問題で責めを負うべきもうひとつの存在は保険会社です。


      
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   <title>医師と患者の関係　2</title>
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   <published>2011-12-06T03:42:18Z</published>
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      わたしたちは個人の責任で仕事をし、医業は患者と医師のあいだだけのもので、そこに第三者がはいりこむ余地はなかったのです。


・・・いまでは、わたしたちは法律によるさまざまな規制や規則のもとで仕事をしなければなりません。


そして、その規制のあるものは、実際に有害無益な無資格医師や未公認療法の追放に絶大な効力を発揮してきました。


しかし、その規制があまりにも非情に、機械的におこなわれたために、実際には有益な数多くの治療法まで追放してしまいました。


・・・ともあれ、現在のように規制や保険の手続き、監察などにいちいち対応しているかぎり、わたしはもちろん、わたしが知るどんな名医も、昔のような丁寧な診療などできるよしもありません。


医師が患者の家をたずね、自宅の寝室の、ふだん使っているベッドに横たわった患者を診ていた時代がありました。


患者は負担能力におうじて自分で治療費をきめ、医師は「わたしがきたからだいじょうぶだ、心配しなくていい」と患者をはげましました。


そのひとことが患者の重荷をとり除き、治癒力のすみやかな発動を助けました。


・・・そこに信頼があるとき、治癒力は発動しはじめます。


      
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   <title>医師と患者の関係</title>
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   <published>2011-11-06T03:41:37Z</published>
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      この2、30年で、医師と患者の関係はひどくそっけないものになりました。


昔の医師は、患者の生活歴・病歴をじゅうぶん把握するまでじっくりと問診に時間をかけ、それからはじめて診断を告げたものでした。


いまではほとんどの医師が、患者の入室から退室までを10分以内ですませたがります。


・・・それではシャーロック・ホームズでも問題の真の所在をつかむことなどできるはずがありません。


近ごろでは、診察以外に数分の時間をさく医師がいるとすれば、それはもっと運動をしろ、食事の回数と量をへらせ、よく眠れ、あまり飲むなといった指示をあたえるのに費やされるだけです。


しかもその指示はごく一般的なもので、個人差に対応したきめこまかいものではありません。


そんなことをするだけの時間がとれないのです。


わたしが開業したころは、医師の仕事はもっと余裕のあるものでした。


医療費も安かったし、政府も診療に口だしをしなかったのです。


仕事のやりかたはぜんぶ医師の裁量にまかされていました。



      
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   <title>状況の再現　4</title>
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   <published>2011-10-31T06:48:06Z</published>
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      わたしたちにとって、雀は雀にしか見えませんが、鳥をモチーフにする画家にとっては、その一羽一羽の&quot;人相&quot;が違って見えるといいます。


概念的に見ているのではないからです。


子どもにとっては蚕が、絵描きにとっては雀が一匹ずつ違って見えるのなら、我われにも、自分の仕事のそれぞれの状況の&quot;個性&quot;がはっきりと見えてくるはずです。


状況の事実から発想していくための第二は、ありのまま見た事実を、何らかのかたちで再現することです。


状況の事実は、時間的にも空間的にも、ばらばらに、かつ雑然と存在しています。


そこから発想していくためには、それらの事実が、そうしようとする人びとのまえに、一望できるように揃えられなければならないわけです。


そのための工夫を、私は「再現」と呼んでいます。


再現に際しては、事実そのものを持ち込めれば文句なしですが、多くの場合、それはむずかしいのです。


そこで、事実を、何らかの手段によって、代替させなければならないことになります。


      
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   <title>状況の再現　3</title>
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   <published>2011-09-11T06:46:52Z</published>
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      概念や解釈と事実との区別がつかなくなっている人がほとんどです。


しかし、慣れればというのはおかしな話ですが、事実をありのまま見ることは、誰にでもできることです。


小さな子どもにでも楽々とできることだからです。


ある氏(子どもの生活と感性研究所代表)がこんな話を紹介しています。


マル、ながくろ、バック、クロ、くい、リキ、ちょこ、タロ、うろ、チビ、つる、しろ。


これは小学生のあやちゃんが、4年生の時に自宅で飼っていた13匹の蚕につけた名前です。


(中略)


おとなが見ればどれも同じ虫に見える蚕でも、あやちゃんは13匹の個性的な顔と生活を、見事につかんで成長過程を記録しました。


1匹ずつ、わずかに違う顔の特徴も、ノートにていねいにスケッチしています。


(中略)


「あっ、先生の目の中にミイちゃんがいるよ」と言いながら、私の顔をのぞきこんだのは3歳の女の子(ミイちゃん)でした。


そしてどんどん顔を近づけてきます。


「あっ、だんだんミイちゃんが、先生の目の中で大きくなってるよ」



      
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   <title>状況の再現　2</title>
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   <published>2011-08-31T06:46:05Z</published>
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      幼稚園から帰ってきた娘に母親が、


「○○○ちゃんお帰りなさい。この花どう？」


・・・と声をかけました。


すると娘は、花のほうを見向きもせず、「きれいだわねえ」と言い残して、自分の部屋に飛び込んでいってしまうのです。


幼稚園に通いはじめると、「花イコールきれい」に、日増しに近づいていくようです。


「裸の王様」を指摘できるのは、3歳児までです。


多くの職場で今日、「事実」という看板を掲げることが常識となっています。


TQC活動でも盛んに言われています。


しかし現実には、事実とされているものの多くは事実からは程遠く、概念や感想、解釈を以って事実だとしています。


組革研の参加者は、この状態を背負って箱根の山を登ってきて、この点で、まず第一の難関にぶつかるのです。


      
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   <title>状況の再現</title>
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   <published>2011-07-31T06:44:39Z</published>
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      「空は青くない。花は美しくない。」


・・・ある氏は、1962年に52歳にしてその生涯を閉じましたが、日本の報道写真の先駆者であり、土門拳氏の師に当たる人です。


氏が日本人として初めて、真実の報道をうたって当時世界に冠たる存在であった「ライフ」のカメラマンに採用されたとき、編集長から最初に言われた言葉がそれであったといいます。


素直に見れば、都会の空が青いときは少ないでしょう。


醜い花もあります。


しかしわたしたちは、空は青い、花は美しいと、何の疑いもなく思い込んでしまっています。


それほど概念の虜になってしまっているのだということを、私はこの言葉によって気づかされ、忘れることのできないショックを受けました。


大人だけではありません。


子どもにまでこれが拡がっています。


      
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   <title>自治行政について　4</title>
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   <published>2011-06-27T06:25:27Z</published>
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      現に「政府自民党」といういい方が行われたり、主要な施策の立案や運用について関係大臣と与党の幹部によって構成される「推進本部」が設置されているのは、その例です。


また各省庁のトップには国務大臣がつき、国務大臣の大部分は、与党の国会議員が兼ねるのが常態です。


・・・いずれにせよ、国務大臣は政治的任命であり、「能力の実証」によって選ばれる事務次官以下の省庁職員は、この政治的任命職の指揮監督下にあります。


これもまた与党の意向が行政に反映するルートです。


各省庁が関係法案を策定する過程において今日では自民党の政務調査会の関係部会との「事前協議」を基本とする「党側の了承」をうることは不可欠の手続となっています。


これに対して自治体では首長は直接公選で選ばれ、議会から指名されるのではないため、首長と議会との問には国会と内閣との問にみられるような制度上の与野党関係はありません。


首長と議会はいずれが民意を的確に反映しているかを競い合う関係にあり、かなり明確な機関間対立を想定しています。


したがって、議会は全体として首長に対して野党的機能を果たすことが期待されています。



      
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   <title>自治行政について　3</title>
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   <published>2011-05-27T06:24:45Z</published>
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      自治体職員の方が施策間関係を視野におさめて全庁的に行政を展開するジェネラリストになりやすいのです。


幹部職員になるのに国の省庁であれば、5つ、6つの省庁をわたり歩くことになるのはむしろ当たり前です。


異部門を体験することで育成されるバランス感覚は、地域と住民に直接触れ合い、総合行政を展開するのに有効です。


次に対立法部関係ですが、第3は立法部(議決機関)との関係のあり方の相違です。


国の場合は、内閣は連帯して国会に対して責任を負っています。


これは国民によって選挙された国会が内閣総理大臣を指名し、内閣総理大臣が組閣をするからです。


したがって実際には国会の多数派が与党となり、その与党が閣僚を出すから、実質は政党内閣制となります。


そこで、一方では国会と内閣の間には制度上の与野党関係が生まれ、与党は内閣と協力的な関係をもち、野党は内閣に対して批判的立場をとることになります。


また他方で内閣は、予算編成を含む政策決定過程において与党とは緊密な連絡ないし協議を行い、与党との意思疎通を図ることになります。



      
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   <title>自治行政について　2</title>
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   <published>2011-04-27T06:24:16Z</published>
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      国家公務員といっても、各省庁ごとに採用されるのであって、その基本的な帰属意識は、定年後までも採用された省庁にあるといってよいでしょう。


もちろん、キャリア組の省庁にまたがる人事異動も少なくないのですが、それは常態とまではいえません。


やはり最初に採用された省ないし庁で公務員としての生活の大半を過ごし、その省ないし庁の職員として退職し、その省ないし庁の出身者として再就職をするのが常態です。


これに対して自治体の職員は、省庁採用のように行政組織の特定部門に独自に採用されるのではなく、「……県職員として」「……市職員として」採用されます。


こうして採用された自治体職員が他所へ出向することはあるが大部分は採用された県庁なり市役所なり町村役場なりで仕事をします。


中途退職、中途採用がほとんどないのは国の場合と同じです。


しかし、分掌事務の違う部門を人事異動によって転居して歩くのは自治体では常態です。


      
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   <title>自治行政について</title>
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   <published>2011-03-27T06:23:11Z</published>
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      大卒の上級職試験で合格した職員が実際に管理職の地位に昇進しやすいことは否定できないのですが・・・


あらかじめ、いわゆるエリート・コースが定まっているわけでなく、採用後の経歴、能力発揮、努力、人柄等、総合的な評価で昇任が決定されるのが普通です。


また筆記・面接試験をともなう「選考」方式で昇任管理を行っている自治体の場合は、入所何年という一定の条件はあっても、原則は職員のだれでも、選考試験をうけることができます。


その点で、国よりはるかに開放的なしくみになっています。


もともと、新規の場合は、ほとんど行政のド素人を採用するのであるから、採用時点ですでに将来の幹部の地位(本省庁課長以上)を事実上約束するのは、良い意味で能力と意欲と責任感にあふれる職員の育成には役立つでしょう。


しかし、一つの賭でもあり、しかも、それ以外の職員の昇進ルートを事実上ほとんど閉ざしてしまっている点でも大きな問題があります。


採用後の仕事振りをみて、広く職員から管理職者を登用していく自治体の方式には、一種のまどろっこさはつきまとってはいますが・・・


採用試験時から身分差をもちこんでいる国の方式とは違った人材発見の点でよさがあるといえます。


第二は、第一の点に関連して、だれが制度上の採用者であるかに違いがあることです。



      
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   <title>「自閉症」について　8</title>
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      全国の幼稚園の障害児保育の調査によると全国100万人の園児のうち100分の1の1万人がいわゆる障害児という調査結果が出ていますが、そのうちで約3分の1が自閉的問題児です。


ずいぶん多いようでもありますが、これはおそらく大部分が、病気としての自閉症ではなくて、自閉的傾向のある行動を示す幼児なのです。


自閉的傾向という言葉にも多少問題がありますが、典型的な自閉症ではなくて、それに似た行動特性を示すものが、大部分であると考えたほうが良いのです。


「自閉症」の原因とかその治療については現在では世界的に研究が進められていて、いろいろの研究結果が出ています。


結論的には現在わからないところが多くて、意見が1致していないために、まだ研究途上にあると言ったほうが良いでしょう。


そのようなこまかな点についてお話をするのには、小児の精神医学や異常心理学、発達などに関する沢山の基礎知識が必要であり、中途半端なことを申し上げると誤解をひきおこすことになりますから今日はそのことに言及しないことにします。


そこで、問題をむしろ一般的な社会のことに限定して、いわゆる自閉的傾向を助長している要因は何か、というお話をしてみたいと思います。


      
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   <title>「自閉症」について　7</title>
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      とにかくコミュニケーションをつけることが学校教育の第1のステップですから、社会性、人間関係に問題にのある自閉症児は、他の精薄児や情緒障害児とは異なった困難をかかえているということになります。


今までお話ししたことはおそらく皆様方はすでにたびたび体験しておられるかもしれないし、また自分で実際扱わなくても、同僚の教師の話題としてだいたい知っておられることでしょう。


私がここでくどいようにお話ししたのは、いちおう問題点を整理して、なぜこのような現象が起きてきたのかということを考えてみるためです。


まず「自閉症」はかならずしも「自閉症」ではないということです。


どういう意味でしょうか。


「自閉症」をもし病気であると考えるなら、この病気は、実はそれほどわれわれが感じているほど多いものではないのです。


世界的な規模での調査で約1万人の子どもに1人ぐらいの出現頻度なのです。


ひとつの学校に20人も30人もいるわけではないのです。


      
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   <title>「自閉症」について　6</title>
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      このような困難な5年から6年にわたる歴史を持って、学校に入ってくるのですから、1年生を取り扱う先生はたいへんです。


長い間1対1の個人指導やいわゆる「心理治療」「カウンセリング」を受けてきたとしても、学校での集団に適応できるかどうかは別問題です。


学級集団のなかできわめて変わった動作や行動をする子どもがひとりでもいては、他の子どもが目うつりするし、第1教師がやりぎれません。


学級参観で父兄が沢山いるところでは、ことには目立ちます。


おちっき無さが他の子どもにも波及します。


教師は1対1の治療をしているカウンセラーとはちがって、学級をひとつの単位として指導せねばならない立場ですから、普通学級ではとてもこの子どもの面倒はみられないということになります。


それでは特殊学級ではどうか、というと、ここでも問題があります。


      
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   <title>「自閉症」について　5</title>
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      その子どもなりの論理があるらしいので、おとなが、われわれの社会の約束事をひとつひとつ教えこんでいく上に、きわめて大きな障壁をつくっているようにみえます。


多動とか落ちつかない……といっても、このような奇妙な精神構造の上に立った行動であるために、われわれ自身が頭をかかえてしまうわけです。


このような動作は、家庭内でも早くから問題にされます。


世界保健機関（WHO）という世界的規模で保健を考えている組織での定義では、今のような行動特性をもった子どもで生後30ヵ月以前すでにその芽生えが見られるもの、とされていますから、乳幼児期に問題が現れてきます。


両親ともに高学歴、知識人という条件のそろっていることが多いので、当然親はいろいろと悩み、教育に心を配ります。


同時に情報化社会のなかでは、自閉症に関する書物や、記事はまるで洪水のように世間に満ちあふれています。


なんとかしたい、どうにもならない、自分が悪い、いや子どもがもともと素質を持っているのだと論議が盛んに行われます。


      
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